
はるか昔、河内と大和の一帯は鳥見(登美)の里と呼ばれ、穏やかな自然と、海や山の幸に恵まれた豊かな土地でした。
この地方を治めていた豪族、鳥見一族は、稲作や製鉄の技術はないものの、狩や漁がうまく、生活用具や住居づくりに優れていました。また、長身の恵まれた体格は戦闘に秀で、「長髄の者」と恐れられていました。
さて、神々の住む高天原では、天照大神が、孫の饒速日尊に大和の建国を命じ、『十種の瑞宝(かんだから)』を授けていました。
『十種の瑞宝』は、人々を治め、身や心の病を癒す霊力をそなえた瑞宝です。
饒速日尊は『フツノミタマの劔』を持ち、日の御子の証である『天羽々矢』も携えて天磐船に乗り、船団を組んで高天原から船出しました。
船団が豊前(大分県)の宇佐につくと、尊は息子の天香山命に『フツノミタマの劔』を授け、船団の半分をあずけます。
そして自らは、瀬戸内海を通って大和に向かいました。こうして饒速日尊の乗る天磐船は、鳥見の里を見渡す哮ヶ峰(生駒山)に着きました。