
その頃の鳥見の長、長髄彦は、外敵を全て討ち滅ぼす猛々しい族長でした。しかし饒速日尊の徳の高さに打たれ、尊のもたらした稲作や織物、鉄製の道具・武具に文化の差をみると、争う事の無益さを悟り、一族こぞって饒速日尊に従ったのです。このとき二人の間を取り持ったのが、長髄彦の妹、登美夜毘売(三炊屋媛)でした。
こうして鳥見の里を治めるようになった饒速日尊は、水が豊かで稲作に適したこの地に水田を拓き、大きな実りをもたらします。これが近畿地方の稲作文化の初めといわれています。饒速日尊はやがて、登美夜毘売と結婚して可美真手命をもうけ、一層国の発展につくされました。