室町時代に兵火にかかるまで、石切劔箭神社の神宮寺として神社と共に栄えていた、天台宗の法通寺。その法通寺にあって、多くの信仰を集めたと伝えられる地蔵尊四体をここに安置いたしました。さらに、法通寺の跡地にあった穂積堂に祀られていた霊神像三体を合わせてお祀りし、穂積地蔵七神と呼ばれております。