石切劔箭神社上之社

石切劔箭神社は、神武紀元二年、現在の生駒山山頂に程近い宮山に饒速日尊を奉斎した事をもって創祀と致します。その後、崇神天皇の御代には可美真手命を奉斎するため下之社(現御本社)が創建され、長らく饒速日尊を祀る宮山、可美真手命を祀る下之社(合わせて石切劔箭命神社二座)として祭祀が継承されました。慶安三年(一六五〇)、宮山の御神座は光堂山(現在の上之社鎮座地)に御遷座が行われ、下之社に対し、上之社と称されるようになります。しかしながら、時代は下って明治四十年、政府の神社合祀政策によって上之社は下之社に合祀される事となります。その後上之社跡地として石碑のみを有する形となりましたが、崇敬される参拝者は後を絶たず、多くの方々の御懇志により昭和四十七年に再興され現在に至ります。現上之社の御本殿は、元は下之社本殿として造営された室町時代の建築によるもので、昭和七年に現御本社本殿造営を機に解体保存されていたものです。