御本社北側にあった穂積堂は、明治初期に第104代宮司木積一路翁が郷学校(現石切小学校の前身)を開き、子弟教育に尽力されところでした。しかしながら、この穂積堂は昭和45年に焼失してしまい、後に穂積堂に祀られていた御神霊を穂積神霊社として再びお祀りしたのがこの社です。病魔災難除け、学問向上の神様として篤い信仰を集めております。